もう、最初から言いたいことを言います。
何故、PS2版のスタンは、人殺しについて何も触れないのか。
・・・。
いろいろなファンサイトを巡ってみると、
(いろいろ、っつても、ほんの2・3)
PS版とPS2版の年齢設定(裏的要素があるならR18設定のような)
についてというがあって、その中で書かれていたのは、リオンのゾンビリオン。
怖かった。と言う書き込みがあったのは覚えているのですが、
スタンのことはなかったんですよ。
(いや、もしかしたらあったかもしれない)
だけど、今、私が話したいのはある・ないの話ではなく、
何故スタンに、人殺しについて何も触れさせないのか。
彼の人格などを見ると、
そんなことは一度もしたことの無い青年が、いきなり殺せと言われて、
人を殺すことが出来るでしょうか?
出来ない。または戸惑う。と言うのが、普通の人の感覚なのではないでしょうか?
これが、PS版の時には確かにありました。
フィリアという女性と一緒に困惑していました。
何故、殺す必要があるのか?と
救うことが出来るのではないか?と
この上の話が出たのは、
砂漠地帯のカルバレイスの首都カルビオラで起こった出来事。
グレバムと言う男がレンズを、神殿にいた人たちに飲ませたんです。
レンズを飲み込むと、それまで動物だったものはモンスターに姿を変えてしまう。
それが、レンズと言う恐ろしいエネルギー体なんです。
まぁ、つまりそのレンズを飲み込んだ人間たちと
スタンは戦ったわけです。
モンスターは、人を襲う。
だから、殺せる。
それに、食料にもなる。
しかし、今、目の前にいるのは、確かに人間です。
だけど、仲間のリオンが言うには、
それらは人の形をした、モンスターだ。
(記憶はあやふやですが、こんなことを言っていたはず)
確かに、彼らの目の前にはモンスターに成り下がった人間かもしれません。
だけど、スタンやフィリアにとっては、見慣れた、生きた”人”なんです。
・・・結局、モンスターとして現れたのですから
プレイヤーの私には倒すしか、すべはありません・・・。
こちらが、倒れるわけにはいかないのです。
(倒れたら、ゲームオーヴァー)
スタンとフィリアはとても後悔しました。
何故、”人”を殺さなくてはならないのか。と
最後まで、スタンとフィリアは、
倒したモンスターのことを”人”だと言っていました。
しかし、今回のリメイク版のPS2。
そんな、シーンは1つも出てきませんでした。
強いてあげるなら、リオンサイドでのヒューゴ(=ミクトラン)の
鬼畜度が上がっただけでしょうか?
・・・、・・・。
別に、リメイクが嫌いというわけではありません。
ただ、そのシーンというか台詞は残して欲しかった。
何故殺すのか?
全ては、自分たちが生き残るため。
そうでもしなくては、自分が死んでしまう・・・。
では、レンズを飲み込んだ人間は助けることが出来るのか?
答えはNO
出来ません。
一度、モンスター化した人間は、
この時代の技術ではどうにもならないとの事。
なのに、PS2版は、
普通に敵として人間が現れ、倒す。
レンズを飲み込んだ。という残酷な表現はなく。
ただ、そこで、人間と敵として出会った。
それで、普通にスタン達は倒します。
そこに、戸惑いも、困惑も、チャットも会話もありません。
ただ、敵として出会った。倒すべき敵。
その道を通さないのなら、力ずくで・・・。
・・・。
確かに、グラフィックもきれいになった。
会話も、フルボイスだし。
チャットも、ちゃんと見れるようになったし・・・。
イベントも沢山ある。
だけど、私として、一個人が言いたいのは、
スタンに、何故、人を殺させるのか。
”運命の物語”なんでしょ?
なら、人殺しも、運命だったのか?
それを平然としていられるのも”運命”だったのか?
それとも、それ以前に、もう人殺しをしていたのか?
・・・。
なんだか、乱文になってしまいました。
ただ1つ、言いたい。
私はコレだけを言いたい。
それが生きていく道なのか?
後悔も、戸惑いもなくて、
ただ単に、進むストーリ・・・。
・・・彼の人格設定はどうなったの?
・・・。
これ以上書くと、自分が壊れそうです。
乱文・雑文すみません。
それと、ココまで読んでくださった皆様、有難うございました。
コレを読んで、貴方の価値観が変わらないことを祈ります。
失礼します。
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